連携というビッグワード

「罪の声」(塩田武士)という本が昨年映画化されました。本も映画も大変面白かったです。1980年代の「グリコ森永事件」を題材にしたフィクション。私はあらためて事件への関心が深まり、「グリコ・森永事件」(NHKスぺシャル取材班)という実録本を読みました。「グリコ森永事件」は1984年兵庫県でのグリコ社長誘拐事件から始まり、その後警察庁広域重要指定事件(114号)に指定されます(過去全24件)。結局完全時効が成立し、広域指定事件では初の未解決事件となりました(過去の未解決は2件?)。

この事件が未解決となったのは警察の連携不足が大きな原因だと言われます。日本では米国FBIのような広域捜査体制が未整備で、各県警・警察庁の協力体制が必要です。しかし、この事件では縄張り争い、情報共有不足、指揮系統の混乱など、連携がことごとく機能しなかった。警察庁と府県警、キャリアと現場、大阪府警と兵庫県警・滋賀県警、刑事型捜査と公安型捜査、警察とマスコミ、いずれもダメでした。ちなみに、刑事型捜査とは「個別即時捕捉」、公安型捜査とは「泳がせて一網打尽」というスタイルです。結局方針が二転三転して事件解決に至りませんでした。ただし、各捜査員の「犯人を捕まえたい」という思いや上位目的がぶれていたのではありません。このあたりが本当に難しい。

ここでこの「連携」について考えてみます。この連携という言葉は典型的なビッグワード。ビッグワードとは「抽象度が高すぎて、思考停止してしまう言葉」で、例えば「強化・推進・検討・対処・連携」などです。ただしこれらは私もよく使いますし、決して使っていけないわけではありません。その先が必要ということ。具体的に連携するためにどうするのか。対象、メンバー、体制、指揮命令系統、意思決定プロセス、意識づけ、情報共有ルール、会議体などの特定が必要。どこの誰とどうやって連携するのか?報連相の体制は?結局、「連携」はスローガン(横連携!一枚岩!など)で終わってしまうことが多いのです。連携によって「全体最適」、「建設的化学反応」を期待しますが、実際はとても難しい。例えば日本の行政レベルでも「キャッシュレスを推進する経済産業省」に対して「新紙幣を発行する財務省」など、かみ合っているとは言い難い。特に多様性が重視される今こそ「連携の具体化」に真剣に取り組みたい、あらためてそう思いました。

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