歴史から学ぶ
私は歴史小説を読むのが大好きです。特に好きなのは、王道ですが吉川英治と司馬遼太郎。作品では、吉川英治が「三国志」と「新・平家物語」、司馬遼太郎が「関ヶ原」「燃えよ剣」「坂の上の雲」がお気に入りです。お二人とも太閤記(豊臣秀吉)を書いているのですが、微妙に特徴が出ています。太閤は「天下前の爽快な秀吉」と「天下後のダメな秀吉」に分かれますが、吉川は天下前のみ、司馬は天下前後両方を書いています。最近は大河ドラマなどの影響で、秀吉は策士で裏表のある印象が強調されているかもしれませんね。
私は秀吉は歴史の奇跡だと思います。彼は平安時代でも江戸時代でも天下はとれなかったでしょうが、戦国時代とはいえ、新米の足軽から出世して天下取りにまでなるにはそれなりの理由があります。まず勝負所の意思決定では常に命を懸けていること。「ダメならそれまでだ」と思い切った手を打ちます。だだし博打ではありません。可能な限りの知恵を出して考え抜いた上で、大きな勝負に出ます。だから確率は決して低くない。それを織田家臣というハイリスクハイリターンな環境の中でやり切った。そして志が高い。まあ欲望かもしれませんが。信長の仇討で光秀を打ったとき、柴田勝家も間に合ったはず。しかし目的が違った。勝家の目的は「織田家を残す」、対して秀吉の目的は「天下を取る」。この違いが中国大返しを可能にしたのでしょう。
以前NHKBSの「英雄たちの選択」という番組で識者が「歴史では『わかりやすさ』と『正しさ』の議論が常にある」と言っていました。ここからは私見ですが、「わかりやすさ」の例は秀吉、「正しさ」の例は石田光成や足利義満。「わかりやすさ」は楽しくて人気がある、そして短期。「正しさ」はつまらなくて不人気、そして長期。現代の事業でも、わかりやすいシンプルな戦略は受け入れやすいですが長くは続かない。一方、合理的で正攻法な戦略は面白くないし面倒なのですが、後々評価される。ただし、いくら正しくても受け入れられなければうまく機能しない。うーん難しい。「賢者は歴史から学ぶ」と言います。経験から学ぶのが理想的ではありますが、生活圏や人生の時間を考えると、経験には当然限界があります。歴史から上手に学んで、生活や仕事に活かしたいものですね。